The 50-50 Work© 50/50ワーク©
つきじひろこ
Hiroko Tsukiji-Steinberg
貴方の生来の癒しの力を
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質問: 私は健康を害しています。私は何をするのかに関して混乱し絶望的で麻痺しています。私を助けていただけますでしょうか?
答え: 貴方の肉体組織には、もし貴方がそれに機会を与えるとするなら、いつであっても貴方と協力する準備が整っている自然な癒しの力が備わっているのです。貴方が肉体的、精神的、あるいは心理的な健康を欠いていて、それに関して混乱し絶望的で麻痺しているとするなら、それは貴方が満足していないどのような状況であるとしても修正することができる可能性を、貴方が貴方自身の内面に有していることに気がつかずにいる為です。
貴方の内なる「生来の癒しの力」への無知さは、取り組まなければならない第一のそして最も重要な問題と言えるでしょう。完全な健康へと戻るための前提として、この段階が貴方の内側において手をつけられないままになっていることを知っていることです。しかしそれを耳にしぼんやりと考えることと、それを知っていることとでは同じではありません。それを知るためには、特定の霊的な法則をゆっくりと理解するための「修正過程」を通り抜ける必要があり、それらを犯していることへ対する個人的な責任を取らなければなりません。それから、貴方は貴方の完璧な機能が存在している本来の段階へと一歩一歩貴方の健康を「再構築」することができることでしょう。
貴方は、完全な健康などどのようにして可能なのだろう?と尋ねるでしょうか。私達の完全な健康は、「どこへも行ってしまうことはない」ことから、可能なものなのです。なぜなら、私達が、「私達の完全な健康から離れてしまっていた」からです。そうでなければ、それを取り戻すことは不可能なことになります。貴方が特定の霊的な法則を理解する努力を行いそして損なわれたものを修正するのであれば、この「生きた力」は貴方の中で機能し始めるでしょう。完全な機能へと戻ってくることができることを想像してみてください。
ここで貴方は貴方自身へと尋ねるかもしれません、「私は完全な身体的健康を作り出すための力が私の中に存在している可能性をなぜ無視したり、知りたいと欲さずにいるのだろうか?」と。ガイドは、私達が文句を言うことによって非定的な喜びを得ていることから、これらの力を無視しているのだと伝えています! このことが、私達に故意に否定性を喜んで取り入れさせ、私達の内側にある「生命の力」へと私達を開く霊的な法則を故意に(無意識に)犯させているのです。
ガイドは更に、その「修正過程」が私達に重い犠牲を課すように映ることから、私達はその「生命の力」について無知なままでいたいと願っているのだと付け加えています。現実には、霊的な法則を犯していることへ対して個人的な責任を取ることから逃げていることが、まさに重い犠牲となっているのです。
イエスがベセスダの池で38年間ものあいだ病弱でいた病人に対して、「貴方はよくなりたいですか?」と尋ねた時、イエスは個人的な責任を引き受けることの重要さを知っていました。病人は、「はい」と言ったに違いありません、なぜならイエスは、「それなら立ち上がりなさい、そして歩きなさい!」とお答えになられたと言われているからです。他の言い方をするのであれば、貴方の健康と必然的結果のすべてへ対して責任を取りなさい!ということです。
貴方が、(1)貴方の内側にある可能性を無視し続けている障害物へと挑戦をし、そして(2)貴方が犯した霊的な法則を理解し、そして個人的な責任を取ることによって「修正の過程」を一度通り抜けるときには、貴方は貴方の中に放出されるこの「生きた力」を使う必要があります。他の人達へ対する憎しみや残酷さによる偽りの安全さを手放す為に、それを活用しなさい、そして貴方の人格を他の人達へ対する愛の質へと変化させなさい。
破壊さから建設さへと、分離から融合へとスイッチを切り替えなさい。一度貴方がこの方法によって貴方の力を使うのであれば、その力は拡張し広がっていくことでしょう。しかし貴方は貴方自身以外への目的としてこの無制限の力を使う為には、まず最初に貴方自身を修得しなければなりません。
貴方は貴方自身の健康危機を解決する為に貴方の内側に力を持っているのです。貴方は貴方の問題を解決する為に、神へと頼み込んだり尋ねたりする必要などないのです。覚えていてください、イエスは実を実らせずにいるイチジクの木に死ぬように言いました。その木は「即座に」死に、翌日には干からびていました。聖書は、もし私達が信念を抱いているのであれば、私達は山(私達の問題)へ対して、「ここからあそこへと動け」と求めることができ、その「山」は動くであろうと伝えています。この伝言は明白なものです、貴方には貴方の「山」を動かす為に、貴方の内側に生来の癒しの力を抱いているということです。
癒しが起こるためには、その人間組織全体における肉体面だけに留まることのない、それ以上の深い緩和さが必要とされます。しかし、もし健康問題を抱いていることが究極的な現実として信じられていたり、あるいは健康問題を抱えていることは人生の「連れ子」へとだけやってくるものなのだと想定されているのであれば、貴方の中に辛辣さと激怒を作り出すに違いありません。このことを否定せずにいてください。こういった気持ちへ対して防衛せずにいてください。もし貴方がどのようなものであるとしても防衛するのであれば、貴方は緊張状態の中にいることになり、それによって貴方自身を癒すことはできないのです。この精霊と共に、貴方が貴方の肉体面や精神面あるいは精神面での癒しへ対して抱いているどのような固執さも手放すことが重要なのです。
ガイドは、「願わしくないものを否定する彼は、願わしいものを否定しそれを喜ぶことを許さずにいる彼とそれほど違いはありません!」と言っています。他の言葉で言うのであれば、「すべてを受け入れなさい、そして何一つにも抵抗せずにいなさい。」このことを学ぶことです。
もう一つ貴方が考えそして想像したいと思っているかもしれないものがあります。ガイドは私達に、私達が私達の中にある霊的な法則を破る何かを払拭するときには、私達は病気や心配そして私達が経験するような死すらも無くなり、完全に幸福になることができるのです!と伝えています。それから彼はこの状態の中で、私達が精霊界へ戻るときに、朽ちることによってや老化、そして病気や事故によってとは異なる方法において起こることになるだろうと言っています。それは、「非物質化」と言った種のことでしょう。
(パスワークガイドレクチャー11番、141番、216番、253番からの言い換え抜粋)
貴方が健康へと戻るために導きとなる規律となる霊的な法則は、以下を参考にしてください。(194番からの霊的な法則の抜粋)
自己責任の法則
個人責任の法則は、パスワークの教えの中核要素です。それはパスワークを導いている主要な規律です。最初に目にするときには、自己責任は時に受け入れることが困難なものです。もし人が悪運をもたらした状況や他の人達の間違いを非難することができるだけであるなら、打ち負かされることですら受け入れることの方がずっと容易であるように見えることでしょう。自己責任の法則を受け入れることは、自己憐憫や諦め、受身的な我慢、人生の不公平へ対する燻る憤慨、それから「人生へ相対する苦情」をくどくど繰り返す有名な自虐的ゲームを払拭することでしょう。
この法則は人の障害物の根っこにあるものを探究する導きとなる規律です。その人の人生、特にその満足と欠落を考えるとき、概要を表している即座の青写真としてみることができるのですが、その領域においては、人が満足しているのかあるいは満足に欠けているのかへ対して内面において一致している態度が存在しているに違いないことでしょう。この調べ方は通常の態度とは正反対ですが、実際のところ信頼できそして真実に満ち足りるものであり、いつであっても人がこの試みにおいて十分に深くそして本当に正直である結果へと導いて行ってくれるに違いありません。
貴方が信じるように、貴方は経験するでしょう。
もっとも重要な法則の一つは、聖書がなんども繰り返しているものですが、それは、貴方が信じている通りに、貴方は経験するでしょう、ということです。もし貴方の信じ込みが、貴方は変えることができない、宇宙は敵である、とするなら、貴方の究極的な運命は悲劇であり、それによって本当に貴方はそのままその通りに経験しますし、経験するに違いありません。貴方の行動と反応の全ては、このことをその通りに運び込んでくるように連動しています。反対に、もし貴方が貴方は変化することができそして否定性や破壊性、無力や悲劇や貧困から抜け出し成長することができると本当に信じているのであれば、宇宙は一つひとつすべての物事において豊かさ溢れる喜びであり、この真実を経験することができ、そして実際のところ、貴方はそうする以外にはないことでしょう。
人生は、誤魔化すことはできません。
きめ細かに測定された内面の機能が存在し、それは貴方がある程度を超えては神聖なる法則を侵すことはできないという「伝言(メッセージ)」を送っています。例えば、もし貴方が無意識に憎しみや敵意の道の上に乗り出すときには、貴方は愛や満足の可能性を信じることはできないのです。もし貴方が無意識に、貴方が喜んで提供するよりも、より多くのものを欲しがることによって人生を誤魔化したいと思っているのであれば、貴方はもう一つの重要な法則を侵すことになります、それによって貴方はどれほど人生の豊かさへの可能性を信じようと努力するかもしれないとしても、そのように働くことはないのです。そのように「働く」ことはないのです。貴方の魂の実体は、貴方が法則を犯したことを払拭するまで、拒否することでしょう。人生は誤魔化すことはできないのです、そしてそれはよいことなのです。
貴方は段階を飛ばすことはできません。
もう一つの法則は、貴方は段階を飛ばして進むことはできない、ということです。もし貴方がある結果を欲していて、それでもこの結果を産むためには、もう一つの法則を犯している障害を消し去ることによるものであるなら、まず最初にその障害が対応されなければならないと言うことです。ですから貴方の瞑想の目的は、途中で変更しなければならないかもしれません。もし貴方が途中に立ちはだかっているものを、喜んで修正しようとしないのであれば、その結果がやってくることはできないのです。この領域での創造は行われることはできないのです。
(*)モイラ・ショーの許可を得て掲載しています。