The 50-50 Work© 50/50ワーク©
つきじひろこ
Hiroko Tsukiji-Steinberg
50−50ワーク©力: ヒーリング・フォース・プロジェクト
50/50ワーク©:この意識のワークがどのように私の人生へと影響をもたらしているのか、その1つの例を書いてみたい。私は東北で生まれ育ったこともあり、2011年3月11日に起こった東日本大震災後できる限り支援へと関わることに決めた。
関係性は人生のまさに中核と言えるものである。人間誰一人として、
暖かみや愛を感じることなく、分かち合い互いを理解し合うことなく、
生産的に生きていくことは不可能なことである。このことは、
全体を通した創造的精神の成り立ちそのものである。
ー166番
震災直後に実感したことは、50/50ワーク©トレーニングから学び身につけているその意識状態と気づきとは、教室内から外界へと運び出されなければ
ならないということだった。教室内で学んだことは、日常での経験と人生の出来事そして社会の人間関係のなかへと運び込まれ実践活用されることで、最大限活かされる機会と可能性になっていくことができる。
思考と気持ちそして態度の力は計り知れないものである。
ー208番
50/50ワーク©、つまり意識のトレーニングで身につけてきた意識と
気づきとを、人間が生まれつき潜在的に所有していると言われるヒーリング・
フォース(癒しの力)として、日常での暮らしのなかで誰もが有効活用し実践し
行動することができる可能性と、地球上において避けることができない現実へと
向かい合い想像を超える困難に出会うとき、その避けることができない現実を
何か他の可能性へと変容させていくことができる可能な挑戦として受け取ることができるかどうか、その未知数を広げてみることにした。7年間でできることを考え実行しながら、人生において回避することができない大災害へどのように関わっていくことができるのか取り組んでみた。
2011年から2018年までのあいだ、関係性を通じて行うことができる支援方法を考えながら現地を5回訪れ、学校や幼稚園を訪れ子供達に会い現地との関わりを築いていった。そして現地で学んだ現実を、50/50ワーク©トレーニングへと持ち帰り、学びの材料として一人ひとり人生のなかで行うことができる何かしらの変化や実践へと挑戦を深めていった。また現地とトレーニング生とのやりとりも取り入れ、社会全体の循環の一員である気づきの輪を築いていった。日本には昔から伝わっている教えがある「恩送り。情けは人の為ならず。」
2013年4月18日 バージニア州立大学にて、「ヒーリング・フォース・プロジェクト」についてを話すありがたい機会をいただく。テーマとして、
「東日本大震災からの学び:: 世界は人間の潜在的力と繋がりを活かした支え合いの場所になることが できるか?」
ここでは三つの鍵を提示してみた: 1。)ヒーリング・フォース(癒しの力)になること。人類の潜在性としてこのような力があることを認識すること。 2。)「不可能」を「可能」へと変容していく方法と能力を発達させること。 3。)よりよい世の中へ向かう働きかけを考え実践行動していくこと。
私がこのプロジェクトを実行しているあいだ、非常に大きな協力を受け取ることができた。そのなかの一 人は、岩手県遠野市の打越さんだ。彼は歯科医院を
開業しているが、大震災直後、犠牲者の方々へのネッ トワーク: プロジェクト・
ネクストを立ち上げていた。彼は私にさまざまな協力と道具を提供してくれたが、 それらは外部者である私にこの大地震と津波が現地へともたらした想像をこえる残酷な現実を目の前ではっきりと見せてくれる ことになった。
第5回目訪問時(2017年10月)までに、50/50ワーク©
グループを開催し作った支援金「50/50コンシャスネス・ファンド」は、
約2,800,000円となり、提供することができた。これはこのプロジェクトを開始した時点で私が思い描いていた数字(30,000ドル)だ。
この支援金は、この大震災で家や親御さんを失ってしまった子供達、自宅
などを失ってしまった方たち、それから幼稚園や学校へと届けることができた。
被災地ではたくさんの方達と出会うことができたが、みなさん忍耐強くそして繊細でそして優しかった。
トレーニングの学びとして、支援金がどのようにどこへと届けられ、そして使われているのかを辿ることができるにように関わったことも、一人の人間が
世の中の一部として提供しそして受け取っているという循環組織を実体験することができた学びとなった。これは、学んでいるガイドの知恵と教えそのものだ。
人間は魂が生まれつき持っている能力と提供することへの切望を
使わずにいるとき、受け取ることがまったく不可能になってしまう
という備わった機能を持っている。現実においては、与えることと
受け取ることとはひとつであり、そして同じ流れと動きそして現象
になっている、人はその一方を持たずに存在することはできない。
ー250番
岩手県大槌町出身の伊藤さんと出会った。大地震で発生した津波が背後に襲ってくるなか、鉄塔にしがみつき、一昼夜を過ごし、22時間後自衛隊のヘリコプターで救助され生き延びた男性だ。伊藤さんは以前から万が一津波が来た時にどこに逃げるかを決めていたらしい。
伊藤さんが伝える体験は、私たちのトレーニングにとって大きな影響力のある教えとなった。彼は私たちのトレーニングクラスの一部にも参加してくださった。「決して諦めてはいけない!」彼が繰り返し伝えてくれる言葉だ。
2013年3月12日(第2回目訪問時撮影)岩手県大船渡市ラーメン専科さんにて。
2012年10月20日(第1回目訪問時撮影) 岩手県陸前高田市
津波は鉄筋コンクリート3階建てのショッピングセンターを完全に飲み込んでいた。建物は海岸線からは何キロも離れていた。大震災から1年7ヶ月、大きな建物が数戸残されているだけで、震災以前は居住地であったろう周辺には草が生えていた。
計り知れない自然の力と人間の小さを身を持って感じ愕然とした瞬間だった。
岩手県陸前高田市の幼稚園の建物。第2回目訪問時(2013年3月12日)と第4回目訪問時(2016年2月5日)のあいだに津波に飲まれた幼稚園舎が新しく建て替えられていた。仮幼稚園舎を訪れたとき(第2回目訪問時2013年3月12日)一人の女の子が飛びついてきた。
2013年4月18日 バージニア州立大学にて「ヒーリング・フォース・プロジェクト」についてを話す機会をいただく。テーマ:「東日本大震災からの学び: 世界は人間の潜在的力と繋がりを活かした支え合いの場所になることができるか?」
2014年3月11日 3回忌(第3回目訪問時撮影)岩手県陸前高田市に残されている5階建てのアパートは、その4階半まで津波が飲み込んだことが分かる。この建物は海岸線からははるかに離れている場所に立っている。